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今年は戦後80年。
終戦直後、国の「海外引揚事業」で舞鶴港が「引揚港」として指定されました。以後13年間にもわたり(1945年から1958年)、海外に残された日本人約660万人のうち、主に旧ソ連方面に残された約66万人(うち約46万人がシベリア抑留者)が、同港を通じて帰国を果たしました。京都府舞鶴市は「引き揚げのまち」なのです。

当時、舞鶴市とそこで生活する市民たちは、心身ともに疲れ果てた引揚者たちをあたたかく迎え入れ、故郷や新天地へと向かう彼らのために力を尽くしました。
その歴史を未来へ継承すべく、舞鶴港に最初の引揚船が入港した10月7日(1945年)は「舞鶴引き揚げの日」に制定されています。
その当時の貴重な資料を収蔵・展示しているのが、1988年に開館した舞鶴引揚記念館です。

シベリア抑留や引き揚げの歴史を後世に引き継ぐとともに、平和の尊さを発信することを目的に1万6000点以上の資料が寄贈され、1000点以上を常設展示。さらには収蔵する資料570点が、2015年に「ユネスコ世界記憶遺産」に登録され、”人類が共有すべき世界的に重要な遺産である“と認められました。
戦後80年を迎え、戦争を体験した人が少なくなった現在、舞鶴市では「シベリア抑留と引き揚げの史実の継承事業」において、若い世代が自らの言葉で継承する「次世代による継承」を独自に進めています。
その取り組みの一つが、舞鶴引揚記念館を拠点に活動する「学生語り部」です。2016年に中学生3人が「語り部養成講座」に自主的に参加したことをきっかけに、講座を修了した中学生や高校生などによる「学生語り部」が2017年に誕生しました。
2025年度は中学生22名、高校生16名、大学生8名の合計46名が活動をしており、今回は中学3年生の森田健太郎さん、宵田紗良さん、高校2年生の石角晴花さんの3人にお話を伺いました。
━━「学生語り部」に参加しようと思ったきっかけを教えてください。
森田健太郎さん(以下森田さん):小学校で引揚についての学習があり、中学校でも同じように引揚について学習する機会がありました。中学1年生のときに、語り部を募集するチラシを目にしました。引揚について学校で勉強しましたが、学校で勉強したこと以外のことをもっと詳しく知りたい、学びたいと思って、語り部をやってみようと思いました。

宵田紗良さん(以下宵田さん):2つ上の兄も語り部をやっていて、その話をいろいろと聞いているうちに興味を持ちました。自分が住んでいる町に引揚記念館があり、兄がやっているなら私もやってみようかなと思いました。

石角晴花さん(以下石角さん):小学6年生のときに、引揚記念館で行われた平和祈念式典に小学生代表として参加して、文章を読みました。そのときに、自分の目の前に座っている大人たちが、私が話していることにうなずきながら聞いている姿を見て、自分はとても重要なことを話しているんだと、子ども心に思いました。引揚の歴史がこの舞鶴にあって、それを自分が大切にしなくてはならないと、式典で感じたんです。中学生になって、先輩に学生語り部の方がいて、活動内容を教えてもらい、やってみようと思いました。

━━「学生語り部」を実際にやって、戦争について触れてみてどう感じましたか?
森田さん:戦争があって、終わっても抑留されて帰れなかった人がいます。自分でそうしたことを語ったり、伝えたりすることは、戦争の経験をしていないので、すごく難しいと思いました。それでも、自分なりに理解して、わかりやすくかみ砕いて、子どもたちに戦争について伝えていきたいと思いますし、みんなに少しでも知ってもらいたいという思いはあります。白樺日誌というものがあります。抑留生活のなかで、便せん代わりに白樺の木から皮をとって、皮に家族などに向けて手紙を書くのですが、そうしたことがあったことを忘れないでほしいし、それを自分は伝えたいと思いました。

宵田さん:映画『ラーゲリより愛を込めて』などを見ても思いましたが、攻撃する側の人だって自分もやらないと殺されてしまうからとか、決して全員が全員「やってやるぞ!」という気持ちでやっているわけではなくて、生きていくためには仕方がないから攻撃するという気持ちも抱えているんだと感じました。戦争中は攻撃を止めること自体が難しいんだと思いましたが、戦争を起こさないということはできるのではないかと思います。平和というものがどれだけ大切なのかを伝えることが大事だと感じました。
石角さん:戦争をして、いいことというのは本当にないと思います。たくさんの人が傷つき、将来を奪われます。私たちがこういう活動をすることで、少しでも戦争がなくなればと思うんですけれども、そんな力もあまりないので、地道にがんばって、平和や幸せということについて語り継いでいけたらと思いました。
━━戦争を体験した人に実際にお会いしてお話を聞くことがありましたか?
石角さん:私たちは、いろいろな人のお話を聞いて、語り継ぐということをしています。教えていただいことの中から、当時の人たちは少しでも目標を持っていたとか、楽しみがあったと思うとか、自分なりに来館者の方に説明をしていました。今となっては本当に貴重ですが、体験者の方にもお話を聞く機会があって、そのときに「抑留中の幸せはなんでしたか?」と質問をさせていただいたのですが、即答で「そんなものなかった」という強い言葉が返ってきました。本当につらい思いだけをして帰ってきた人たちがたくさんいるんだということを、その一言からすごく感じました。
宵田さん:今年、東京で開催された研修に参加した際に、初めて体験者の方からお話を聞きました。やはり重みが全然違いました。体験された方ならではの表現というか、本当につらかったんだな、悲惨なことだったんだなというのを感じました。お話を聞いて、改めて戦争は本当にだめだと思いました。
森田さん:自分は直接聞いたことはないのですが、動画などは見ていて、どれだけ苦しかったかなどを自分なりに理解しました。
━━「学生語り部」として、館内で担当している場所などは決まっているのですか?
森田さん:担当というか、自分が得意な場所があります。抑留者の収容所(ラーゲリ)を再現した「抑留生活体験室」という体験スペースがあって、実際に物を触ったり、座ったりできるんです。ここで作業をしたり、寝たりしていたことが伝えられるので、来館された方に実際に体験してもらいながら、収容所について説明をします。

宵田さん:私の担当は、抑留者の方が作ったスプーンなどの、手作りのものを展示しているコーナーです。ただ、個人的に記念館で最初にいちばん印象に残ったのは、模型で食事の様子が再現されているところと、先ほど健太郎くんが話した抑留生活体験室でした。見たことがないようなものばかりで、その光景がいちばん印象に残りました。服装もボロボロで、人の表情も目に光がなく、本当に希望がなかったんだということがリアルに再現されていて、そこにグッときました。

石角さん:最後の舞鶴市民のおもてなしコーナーを担当しているのですが、当時の舞鶴の人たちがどのように引き揚げてきたみなさんをお迎えしたのかを見てほしいです。自分としては、とても大切に思っています。舞鶴という場所に、シベリア抑留という歴史に関する博物館をつくったということは、そもそも舞鶴市民の人たちが、心からお出迎えやおもてなしをしたことをちゃんと残したい、それがいちばん大切だと思ったからこそだと思います。シベリア抑留の歴史を知るために、この記念館に来る方がほとんどだとは思いますが、舞鶴市で生まれ育った私としては、当時の舞鶴市民のみなさんが心を込めてお出迎えをした気持ちというのは忘れてはいけないと思うし、そのあたたかさを感じてほしいです。

━━「学生語り部」として大切にしていることはありますか?
森田さん:具体的なことを示して質問に答えてあげると、相手もわかりやすいので、そこは丁寧に行っています。
宵田さん:ゴールというか、聞いてもらった人にただ知ってもらうだけではなくて、そこからさらにその人に考えてもらうことが大切だなと思っています。話すときにも相手の目をしっかりと見て、話を聞いてもらうことも大切です。少しでも興味を持ってもらい、平和について考えてもらえるといいなと思いながら活動をしています。
石角さん:お客さまは展示を見に来館されるので、展示で見てわかることは私たちが詳しく説明をする必要はないんですよね。私は、大人の語り部さんや学生語り部の先輩のお話を、見よう見まねで自分のスタイルに落とし込んでやっていますが、展示にない内容だったり、自分が体験者の方に聞いたお話だったり、自分が感じたことや、当時の方の感情の部分など、文章ではなかなか伝えにくいところを、語り部が伝えていく必要があると思っていて、それを大切にしています。
━━やっていて良かったなと思うエピソードはありますか?
森田さん:みなさんに「ありがとう」とか「わかりやすかったです」という感謝の言葉をかけてもらえたときには、すごくうれしいです。みなさんにわかりやすく説明できるようにがんばって伝えていきたいなという気持ちもさらに出てきて、それがやりがいにつながります。
宵田さん:私も、お客さまに「わかりやすかったよ」とか「ありがとう」と言ってもらえるのがやりがいです。あとは、語り部のみんながすごく仲がいいんです。私はしゃべることが好きなので、いろいろな語り部の人とお話できたり、仲良くなれたりするのがとても楽しいです。先輩たちから、いろいろなお話をきくことができるのも、やりがいのひとつかなと思っています。
石角さん:学生語り部は、みんな本当に仲良しなので、みんなに会いにいくみたいな感じでやっている部分も確かにありますね。語り部の活動だけじゃなく、いろいろな場所やイベントでお話をさせていただいたり、逆にいろいろな方が来てくださってお話を聞かせてくださったり、あとはこうした取材を受ける機会があったりなど、いろいろなことを経験させていただいています。記念館や、生まれ育った舞鶴、自分が大切にしている人たちに対して、自分自身ががんばることで、少しでも恩返しのようなことができているんじゃないかと最近思うようになって、さらにがんばろうという気持ちになっています。
━━最後に目標や将来の夢などがあれば教えてください。
森田さん:将来の夢は保育士です。両親も保育士なのですが、小さな子どもたちに引揚の歴史は難しいとは思いますが、遊びながらでもそうしたことに触れることができるきっかけがつくれたらいいなと思っています。
宵田さん:私も将来の夢は保育士で、健太郎くんもそうだということを初めて知って、びっくりしています。語り部の先輩である大学生のお兄さん、お姉さんが、とても優しくしてくださるのですが、その姿を見て、私も大学生になっても、語り部を続けられたらいいなと思っています。みんなでずっとできたらいいなと思います。
石角さん:将来は接客業に進むので、語り部で培った自分の気持ちを伝える力というか、コミュニケーション能力は、これからも役立つと思っています。私は記念館にいちばん近い小学校と中学校に通っていたのですが、今お世話になっている記念館の方が、小学校で戦争について教えてくれたり、「引揚新聞」を自分たちで作ってみたりと、記念館や引揚という歴史が、本当に自分の中になじんでいます。沙良ちゃんと同じで、私も、専門学校へ進んでも、社会人になっても、語り部を続けて、記念館に来たいと思っています。
舞鶴引揚記念館の学芸員で、小学校で石角さんに戦争についても教えたことがある、長嶺睦さんは、「中高生が自主的にこういう活動に参加するというのはなかなかないことで、珍しいことなのかなと思いますし、ぜひ彼らの活動のことを広めていきたいという思いもあります」と結びました。
舞鶴引揚記念館の「学生語り部」は、土曜・日曜、祝日、ゴールデンウィークなどを利用して、館内のガイドをはじめ、記念館が主催するイベントや学習会での紙芝居やゲームの運営進行、修学旅行や平和学習などで来館する市外の中学校や高等学校と交流活動を行っています。春休みや夏休み期間などには、市外に活動範囲を広げた交流などを通じて、「学び」の活動も行っています。
舞鶴引揚記念館公式ホームページには、舞鶴と引き揚げについて知る小学生ページもあるので、学習の参考にしてください。
舞鶴引揚記念館
所在地:京都府舞鶴市字平1584番地 引揚記念公園内
電話:0773-68-0836
開館時間:9時〜17時(入館は16時半まで)
休館日:12月29日〜1月1日、毎週水曜日(祝日の場合は、その翌平日)
入館料:大人400円、学生(小学生〜大学生)150円
団体(20名以上)は、大人300円、学生(小学生〜大学生)100円
※ただし、市内在住か在学の学生は無料
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳をお持ちの方は、受付でご提示ください。入館料が半額になります。
アクセス方法:公式ホームページをご確認ください
公式X https://x.com/maizuru_hikiage
公式YouTube https://youtube.com/channel/UCJGJpPGVCw-_Flq3FaeHBFQ?si=sR_qRexd3L9xXJbw
公式Facebook https://www.facebook.com/maizuruhikiagekinenkan/
(取材:2025年8月12日「デジタル少年写真ニュース」編集部 吉岡/取材協力・写真提供:舞鶴引揚記念館)