Tweet
学校で子どもたちを心身ともに支える存在である養護教諭。
宮崎県立延岡しろやま支援学校高千穂高校に養護教諭として勤務する芝裕介先生は、いろいろな経験をしながら養護教諭になる夢を叶えました。その経緯や今後の目標などについて伺いました。

──子どものころはどんなお子さんでしたか?
本を読んだりしながら、「こうだったらいいなあ」という夢をいつも描いていました。近い未来とでもいうのでしょうか? 空が飛べたり、車が空を走っていたり。好奇心は旺盛で、いいなと思ったことにはまずチャレンジしていました。小学1年生から剣道をやっています。兄がやっていたので、その姿を見て「楽しそうだな」と思ったのがきっかけで、ずっと続けています。大人になってからもそれは変わらずで、「やらない後悔よりかは、やって反省」を大切にしています。
──芝先生は養護教諭になる前に、看護師をされていたそうですが、この道に入ったきっかけを教えてください。
中学生のときに看護師が主役のドラマを見ていて、「かっこいいな!」って思ったんです。女性が多い業界で、男性も看護師になれるのかって。高校生になって、職業体験の機会があったので、看護師を実際に体験してみました。寝たきりの人の手足を洗ったり、サポートをしたりするなかで、その人のために何かをしたいという気持ちが自分のなかでガツンと生まれたんです。もともと人とのつながりを持つことが好きだったのですが、わたしは、誰かが困っているとき、できないでいるときに、すすんでサポートして手を差し伸べる性格なんです。それで、高校はもともと文系だったのですが、3年生のときに、看護師になるために、文系のコースのまま看護師の大学を受験しました。行きたい大学も、地元にあったのでよかったです。大学に無事入学して、当時は看護師と保健師を勉強できるカリキュラムでした。大学を卒業したら、大学病院に就職して、主に内科(心臓、消化器、腎臓)の看護師として7年勤務しました。患者さんと接しているなかで、「看護師に向いていますね」といわれるとすごくうれしかったです。経験を積んでいくなかで、小さいころから健康についてちゃんと勉強をしていたら、大人になって予防できる病気もあるし、リスクを減らすことができるのではないかと思うようになりました。そうしたら身近で教育できるといったら学校だなと思ったんです。
──そこから養護教諭の道へ。
小さいときからの健康教育が大切なのではないかと、学校教育への転職を考えました。わたしの場合は、保健師の国家資格をとっていたので、それを教育委員会に提出すると養護教諭の2種免許をもらえるんです。ただ、当時、男性の養護教諭に関する情報が少なくて、宮崎県で本当に養護教諭になることができるのかと、再就職について不安がありました。それなら、体育がきらいな子が体育を好きになるように、保健体育の先生になって、健康教育に携わろうと考えました。
──体育の先生にはどのようにしてなったのですか?
大学に行き直しました。看護師を一度やめて、体育大学に通いました。このときは両親に本当に感謝しました。一度大学に行っているのにもかかわらず、体育大学に行き直させてくれたんです。こうした進路変更などの人生の選択に理解を示してくれた両親には、本当に感謝しかありません。体育大学では在学中、2年生と3年生のときに、JICA海外協力隊の短期派遣事業に参加しました。南米のエクアドルで剣道指導を1か月、2度派遣していただきました。

──そのきっかけは?
好奇心が旺盛というのがわたしのベースなのですが、海外については、「日本とちがう世界ってどういう感じなんだろう?」という気持ちがあったんですね。たまたま剣道でJICA海外協力隊に参加した人の話を聞いていたので、わたしもそういうことができたらいいなと思っていたんです。それで応募したらチャンスをいただくことになりまして、エクアドルに行きました。
──現地では具体的にどのような活動をされたのですか?
剣道を教えるのですが、その環境もさまざまでした。日本では板張りの道場や体育館で行うのが当たり前ですが、エクアドルでは芝生やダンス練習場、スポンジマットや畳、むきだしのコンクリートの上などで、十分な練習場ではありませんでした。剣道着や防具、竹刀なども不足するなかで、どうしようかなと思いましたが、その土地ごとの特色(環境)に合わせた練習内容を考えました。その場所の良さをいかして工夫していくというのは、とても勉強になりました。2回目にエクアドルに行ったときがわたしのターニングポイントで、そのときの思いから養護教諭になろうと決心しました。
──どのような思いが生まれたのですか?
1か月の派遣なので、わたしは入国して1か月経ったらいなくなってしまうんです。1か月では、現地のみなさんが上達したかどうかの評価自体が難しい場合があります。だから、どのようにしたら、伝えたことをそのあともしっかり続けてもらえるのかなって思いまして。指導内容を継続的に取り組んでもらうためには、動画を撮ったり、記録を残したりする工夫が必要でした。この状況を学校に当てはめてみるとわたしの中でストンと腑に落ちました。
──具体的には?
学校では教員が生徒に指導を行いますが、その場限りではなく、できれば卒業後も継続して実践できるように関わりを工夫したいと考えました。そして、これまでの看護経験をいかして子どもと接するのであれば、やはり養護教諭として教育に携わりたいと思ったんです。この経験で得た「場所や環境に合わせた工夫」や、「継続するための関わり」については、今でも大切にしています。
──体育大学を卒業後、すぐに養護教諭の道に進むことができたのですか?
試験を受けて、大学を卒業した年から公立の学校に採用されました。わたしの場合は特別支援学校でした。それまで宮崎県には男性の養護教諭はいなかったので、最初はびっくりされたりしましたが、養護教諭になる前に、「男性養護教諭友の会」という勉強会があることを知って参加したんですね。そうしたら全国から男性の養護教諭が集まって勉強していたんです。その姿を見て男性でも養護教諭になれるんだって自信になりました。
──どんなところにやりがいを感じますか?
子どもたちが登校して1日を学校で過ごして、無事に下校することです。ときには体調が悪かったり、悩みがあったりして保健室に来る子どももいますが、対応のあと、次の機会(次の日や、次の時間)には、元気に教室へ戻って授業を受けている子どもの姿を見ると「よかったなあ」って思います。また、複数年子どもたちと関わるので、1年目で見たその子の姿と、年数を重ねた成長(身体的、精神的)を間近で見ることができるのもうれしいです。
──たいへんなことはありますか?
指導が正しいか、すぐに結果が出ないところが不安になります。また、校内で自分の判断などを相談できる人が少ないこともそうですね。前任校では、養護教諭が二人勤務していたので、対応の確認などはその都度できましたが、現在は一人なので、すぐ確認することができず、近隣の学校の養護教諭に相談したり、休日に、勉強会に行って疑問を相談したりしています。

──養護教諭をやっているなかで何か印象深かった出来事などがあれば教えてください。
初めて会う生徒は、保健室の先生が男性だということに驚く様子もありましたが、そのあとは何事もなかったように、ふつうに保健室の先生として接してくれています。子どもより、意外と大人のほうが混乱する場面もありました。
けがや体調不良ではないけれど、昼休みに保健室に来て、一発ギャグをやっていく生徒がいました。最新の芸人さんのものや、なつかしい芸人さんのモノマネもあり、たくさん笑わせてくれました。たまに、その子が保健室に来ない日もあって、そういうときはどこかでその子のギャグを心待ちにしている自分に気づいてしまったり。子どもたち一人ひとりに、養護教諭であるわたしも元気をもらっていて、癒されているんだなと感じています。
──最近も男性の養護教諭が主役のドラマが人気ですが、男性の養護教諭の理想的なあり方やご自身が考える展望などはありますか?
ドラマや書籍、そして「男性養護教諭友の会」という団体による日本各地での研修会や、SNSになどよる啓発活動により、男性の養護教諭の認知も高まっていると思います。わたしも「男性養護教諭友の会」の研修会に参加し、実際に養護教諭として働いている先生方にお会いし、男性の養護教諭の存在を認識し、「男性でも養護教諭になることができるんだ!」と勇気をもらいました。
男性の養護教諭も、1人の養護教諭(専門職)として、子どもに関わることができればと考えています。「男性であれば、女性とセットで働かないと……」という話もありますが、男性1人でも保健室で活動している先生はいます。
もちろん女性1人、男性1人ずつ先生がそろった保健室であれば、子どもの対応の窓口の一つ(選択肢)になり得ます。
例えば、わたしが高校生のときの保健室の先生は女性でしたが、女性の先生に相談しにくいこともあり、「公民」の男性の先生に相談をしたことがありました。
また、わたしが養護教諭になってから、他校の女性の養護教諭からは「男子生徒の性について対応が難しい。男性の先生が対応してくれるとありがたい」といわれることもあります。わたしも異性の対応に困難を感じることもあります。それは女性の養護教諭でも同じように感じる場面があると思うので、そうした場合に、いろいろな選択肢があるなかで、適切に対応できることこそが、子どもにとっても有益なのではないかと思います。
学校に最低1人の養護教諭はいますが、小学校から高校まで、男性の養護教諭に出会う子どもの数は圧倒的に少ないと思います。わたしも感じたように、その存在を知らなければ、男性でも養護教諭になることができるとは思わないかもしれません。
ほかの学校に勤務する女性の先生方へのお願いにもなりますが、一言、「男性も保健室の先生にもなれるんだよ」と男子生徒に伝えてもらえるとうれしいです。養護教諭になる、ならないは別として、何かのきっかけになればと思います。
──養護教諭として必要なことや、逆にご⾃⾝が考える課題などはありますか?
養護教諭の仕事は多岐にわたります。しかし、仕事内容をカバーするスキル(技)は、まだまだたくさんあるだろうなと考えます。そして、わたし自身、まだ知らない知識もあると思っています。
例えば、養護教諭になるには、教育学部や看護、福祉、心理、保育など、さまざまなルートがあります。わたしは看護ですので、看護で学んだ知識や理論などもふくめて活用していますが、もしかすると福祉や心理、保育などのわたしが経験していない分野にも、子どもたちへの関わりのヒントがあるのはないかと考えます。
そのため、使える知識や技術を積極的に学び、吸収して、子どもたちに還元していきたいと思っています。
──今後の⽬標や夢、読者へのメッセージをお願いします。
養護教諭としては、まだまだ未熟で、足りない部分もたくさんあります。日々勉強です。子どもに関わることができる感謝の気持ちと情熱を忘れず、さまざまな方法や方向から、子どもの健康や将来を考え、実践していきたいと思います。
課外活動として、休日を使い、ほかの養護教諭の先生といっしょに、勉強会を行っています。医師や臨床心理士、救命救急士、行政など、いろいろな講師の先生方に来ていただいて、養護教諭のスキルアップと、養護教諭や他業種の方との交流や、つながりを広げることを目指しています。
企画の一つとして、2025年5月に、宮崎県内外の団体さんや企業さんなどと協力して、わたしたち養護教諭だけではなく、学校保健に関わるすべての人が気軽に参加でき、学びや情報を得る機会になればと思い、「養護教諭EXPO 2025」という勉強会を開催しました。
ありがたいことに「また開催してほしい!」との声も多くいただいています。勉強会という位置づけですが、堅苦しく考えず、参加する大人たち(学生含む)が「楽しい」、「ワクワクする」気持ちを持って、さらに得たものを、それぞれの活動の場に持ち帰って活用できるようなイベントとして、続けていければと思っています。
ここで一つお知らせです。
2026年2月に、東京で、2回目の「養護教諭EXPO 2026」を開催することが決定しました。前回はオンラインがメインでしたが、今回は現地参加をメインとしたハイブリッド開催で、おおまかには「講義」と「展示」の2つに分けて実施します。養護教諭をふだんから支える企業さんや団体さんの活動を展示から知ったり、全国の仲間たちとつながったりすることを目的に、1回目からさらにパワーアップして開催しますので、みなさん奮ってご参加ください!
最後になりますが、わたしは養護教諭としてはベテランでもなく、まだまだ未熟な部分もありますので、毎日勉強しながら子どもたちと関わっていきたいと思っています。「子どもたちのために」という情熱を忘れずに、いろいろな方面から子どもたちの健康を考えていきたいと思っています。■
養護教諭EXPO 2026 ーつながる学校保健ー
日時:2026年2月22日(日) 11時〜16時(予定)
開催場所:東洋大学赤羽台キャンパス(東京都北区)
※ハイブリッド開催(ZOOMによる参加)
参加費用:会場(記念品付き)1,000円 オンライン 500円
公式WEB https://yogoteacher-expo.my.canva.site/expo2026
公式Instagram https://www.instagram.com/yogo.teacher.expo/
(取材:2025年9月30日「デジタル少年写真ニュース編集部」吉岡)

気分はワールドクラスの陸上選手!