• Skip to main content
  • Skip to after header navigation
  • Skip to site footer
少年写真ニュースロゴ

少年写真ニュース

未来への夢を育む少年写真ニュースデジタル版

ニュースのカテゴリーを選ぶ

挑戦する子どもたち
インタビュー
学校現場から
スポーツ
いきもの
イベント
募集

取材の依賴やプレゼントを送る

応募フォーム

教員向け(外部リンク)

SeDoc
アーカイブ
  • X
  • Instagram
  • Search

絵本作家 最勝寺さいしょうじ朋子ともこさんにインタビュー②
人生編へん①

2026年2月11日 by yoshioka

Tweet

絵本『しらすどん』(岩崎いわさき書店)をつくった絵本作家、最勝寺さいしょうじ朋子ともこさんは、絵本作家になるという夢ゆめを叶かなえるまで、どのような人生をおくってきたのかに迫るインタビューです。子ども時代と社会人になってから夢をかなえるまでを、2つに分けてお伝つたえします。

まずは、最勝寺さいしょうじさんの子ども時代から大学生生活までをお届とどけします。



【人生編①〜絵本作家になるまで〜】


──子どものころはどんなお子さんでしたか?

お絵描かきやピアノが好すきで、徒競走ときょうそうや長距離走ちょうきょりそう以外いがいは、どんなことでも前向きに楽しめるマイペースな性格せいかくだったと思います。

学校が好すきな子でした。新しいことを知り、わくわくする感覚かんかくが好すきだったので、授業じゅぎょうで先生の話はよく聞きました。5分休みは、ぼーっと窓まどの外を見て空想の世界に入ることも多かったのですが、そんなときは近くの席せきの子が、「ずっと動いてないけど、だいじょうぶ?」などと声をかけてくれて、私わたしを現実げんじつ世界に連つれ戻もどしてくれました。その一方で、中休みや昼休みは同級生とドッジボールなどをして遊ぶことが好すきでした。給食きゅうしょくは食べるのが遅おそいわりに、おかわりまでしてよく食べていました。

友達関係ともだちかんけいで悩なやんだことも人ひと並なみにあったと思いますが、それでも学校が好すきで、まわりの子が、「明日から夏休みだ!」と喜よろこんでいるときに、私わたしは、「これからしばらく学校に行けないのか」と残念ざんねんに思っていたことを覚おぼえています。

同居どうきょする祖父母そふぼから、昔は、戦争せんそうや家の都合や性別せいべつを理由に学校で学べなかったという話を聞いていたので、子どもながらに、自分が学校に通って好すきなように勉強できることは、とてもありがたいことなのだと考えていたのが大きかったと思います。

自分で物語を想像そうぞうしたり、落書き帳に考えたことを絵や文にしたりということは、子どものころからよくやっていて、小学生のころに「作家になりたい」と漠然ばくぜんとした夢ゆめは抱いだいていました。

子どものころから本や物語は私わたしにとって大切な存在そんざいでした。誕生日たんじょうびやクリスマス、母からの贈おくり物は絵本や児童書じどうしょでしたし、妹や弟が生まれてからは、幼おさない妹弟に絵本を読み聞かせるときが、私わたしにとって幸せな時間でした。

学校の帰り道や犬の散歩さんぽのときに、田んぼのあぜ道で見かける花や、鳥や虫、オタマジャクシなどのことは、友達ともだちのように思っていました。

じっと生き物を見ながら、何を考えているのかを想像そうぞうしているうちに、会話しているような気になったりしていましたね。「命は、人もほかの生き物も同じように尊とうとい」という価値観かちかんは、このころに形成けいせいされたように思います。


──そして中学生、高校生と進んでいきます。

少しずつ実家のまわりの環境かんきょうが変かわって、友達ともだちのように思っていた生き物たちのすみかがなくなっていきました。原風景げんふうけいが失うしなわれていくことで、心にぽっかり穴あなが空いたような気持ちになりました。それをきっかけに、環境かんきょう問題に興味きょうみを持つようになりました。

環境かんきょうのことを大学で学ぶには、高校生までに理系りけい科目を勉強しておかなければいけません。でも、高校受験じゅけんを経へて、数学には苦手意識いしきがありました。

高校2年生のはじめまでは、自分ができることの中でいちばん好すきなことは絵を描えがくことだと思っていたので、美術系びじゅつけいの大学を目指そうと考えていました。

でも、ある日、近所の土手からの景色けしきがあまりにもきれいで、「どんなに美しい絵よりも、自然しぜんそのもののほうが美しい」と思えてならなかったんです。そして、「生き物たちが暮くらすこの景色けしきを、未来みらいに残のこせるような人間になりたい」という目標もくひょうが生まれ、そのためにも環境かんきょうについて大学で勉強しようと思いました。

当時、実家から通える範囲はんいで、環境かんきょうについて勉強できる学科がある国公立大学はひとつだけでした。その大学の受験じゅけん科目には、数学ⅢCという高校数学でいちばん難むずかしい範囲はんいが入っていましたが、目標もくひょうのために苦手を克服こくふくしようと決め、数学だけ塾じゅくに通うことにしました。苦手な数学を克服こくふくするために勉強するのは、たいへんなストレスでした。

でも、高校にも塾じゅくにも、わかりやすく説明せつめいしてくださる先生がいたので、次第しだいに「得意とくいではないけれどおもしろい」と思えるようになりました。

受験じゅけんのための勉強が、自分が生きている世界とつながっている感覚かんかくがあるときは、楽しく勉強できました。世の中の物体の形が全部数式で表せるとわかったときは特とくに感動して、数学を勉強してきてよかったと思いました。

希望きぼうする大学は、数学のほかにも国語・英語えいご・社会・生物・地学と受験じゅけん科目が多かったので、小田原城おだわらじょうの近くにあった自習室へ、放課後ほうかご毎日のように通いました。

友達ともだちにわからないところを教えてもらったり、つらいときは励はげまし合ったり、集中力が切れたときは、空き地の草原を眺ながめながらごはんやおやつを食べたり、気晴らしにお堀ほりのまわりを散歩したり……。同志どうしのような存在そんざいがいたことで勉強を続つづけられたと思います。


──そして、鳥取県にある鳥取大学に進学されました。

浪人ろうにんしても第一志望だいいちしぼうの大学には合格ごうかくできなかったのですが、ほかに環境かんきょうについて勉強できる大学を予備校よびこうのチューターさんがいっしょに探さがしてくださり、当時地域ちいき環境かんきょう学科があった鳥取大学に進学しました。


──環境かんきょうに関かんして学ぶことができる学科がある大学はたくさんあると思うのですが、その中で、鳥取大学を選えらんだ決め手というのは?

私わたしはグローバルな環境かんきょう問題というよりは、自分が生活している地域ちいきでの自然しぜん環境かんきょうや環境かんきょう問題を掘ほり下げて学べる大学を探さがしていました。

その中で都内の大学と鳥取大学の2つの候補こうほが挙あがりまして、合格ごうかくした鳥取大学に進学を決めました。


──大学ではどのような勉強をされたのですか?

生態系せいたいけいや生物の多様性たようせい、地形や地質ちしつの成なり立たち、人と自然しぜんの関かかわりの歴史れきし、自然環境しぜんかんきょうの保全ほぜん、環境中かんきょうちゅうの化学物質ぶっしつの計測けいそく、持続可能じぞくかのうな資源しげんの活用、物質ぶっしつ循環じゅんかん、再生さいせい可能かのうエネルギー、健康けんこうや公衆衛生こうしゅうえいせいなどについて基礎きそを学びました。

ひとつの地域ちいきをフィールドに、多角的たかくてきな視点してんで環境かんきょうのことを考える先生方の講義こうぎは興味きょうみ深いものばかりでした。

鳥取砂丘さきゅうで植物を観察かんさつしたり、大学の隣となりの森で昆虫こんちゅう採集さいしゅうをしたり、顕微鏡けんびきょうで生き物を観察かんさつしたりすることもありました。

専攻せんこうしている学科の授業じゅぎょう以外いがいも興味きょうみがある講義こうぎやフィールドワークはできる限かぎり受けました。3か月メキシコでの研修けんしゅうにも参加さんかしました。


──メキシコではどんな研修けんしゅうを受けたのですか?

鳥取大学の海外留学りゅうがくプログラムがあって、メキシコ海外実践じっせん教育プログラムに参加さんかしました。

鳥取砂丘さきゅうには、砂漠化さばくかの問題や乾燥地かんそうちでの持続可能じぞくかのうな農業などを研究する鳥取大学乾燥地かんそうち研究センターがあります。

その関係かんけいで、鳥取大学から派遣はけんされた学生がメキシコのラパス市にある大学と生物学研究センターで、講義こうぎや調査ちょうさ実習を受けられるというプログラムです。

メキシコでは、乾燥地かんそうちの農法のうほうを見せていただいたり、日本の技術ぎじゅつで現地げんちの水問題をどうするかを考えたり、山で酪農らくのうを営いとなみながら持続可能じぞくかのうな方法ほうほうで生活をされている方の生活を、泊とまりながら見させていただいたり、ほかにも貴重きちょうな経験けいけんをたくさんさせていただきました。

世界自然しぜん遺産いさんの保護区ほごくにある無人島むじんとう、エスピリトゥ・サント島でキャンプをしながら自然しぜん観察かんさつをするフィールドワークもありました。

砂漠さばくの崖がけを歩いたり、野生のアシカの赤ちゃんが近づいてきてくれていっしょに泳いだり、船で移動いどうする際さいに、ジンベイザメが近くを通ってくれたりして、冒険ぼうけんみたいな意味合いでもすごく楽しかったです。

仕事であちこちに出かけて初はじめて会う人に話を聞いたり、誰だれもいない自然しぜんの中で生き物を観察かんさつしてスケッチしたりすることに積極的せっきょくてきになれたのは、このプログラムで度胸どきょうがついたからかもしれないですね。


──地域環境学科ちいきかんきょうがっかで学びながらどんな方向に進もうと考えましたか?

環境かんきょう問題を解決かいけつしていくためには、科学技術ぎじゅつを発展はってんさせていくだけではなく、その技術ぎじゅつを生活の中に取り入れるように考えていく仕事や、知られていなかった事実を知ってもらえるように広めていく仕事も、とても重要じゅうようです。

将来しょうらいは環境かんきょう問題の解決かいけつに貢献こうけんできるような研究をしながら、そこでわかったことを本でわかりやすくおもしろく伝つたえることができるような人になりたいと考えました。


──目標もくひょうは決まったけれど、うまくいかない現実げんじつと向き合うことになります。

学科の先生たちの講義こうぎはどれも興味きょうみ深くて、私わたしは将来しょうらい自分がどんな研究をしていきたいのかということをなかなか決められませんでした。

今思えば、生き物や地形に関係かんけいしていた内容ないようのほうが自分に合っていたと思うのですが、入った研究室は有機ゆうき化学の研究室でした。

自然しぜん環境かんきょうが好すきという気持ちがあって勉強をしてきた自分にとっては、夜中まで実験室じっけんしつにこもって実験じっけん器具きぐに囲かこまれて、フラスコの化合物と向き合うことは、性分しょうぶんとして合わなくて、精神的せいしんてきに疲つかれてしまいました。

そこからいろいろあって、私わたしはぷっつり糸が切れたように気力を失うしなってしまい、大学院を受けるための勉強もできなくなってしまいました。

夢ゆめを見失みうしなって、自分が存在そんざいする意味がわからなくなってしまい、心がめちゃくちゃになってしまったのですが、サークルの仲間なかまとの明るい時間があったり、学科の友達ともだちが話を聞いてくれたりしたことで、なんとか生きていられました。


──つらい思いをしながらも、絵本作家になりたいとしっかり思い始めたのが大学生のときなんですよね。

本格的ほんかくてきに意識いしきしたのは、大学時代です。福岡ふくおか伸一しんいち先生の『動的どうてき平衡へいこう 生命はなぜそこに宿るのか』(木楽舎きらくしゃ)を読んで、鳥肌とりはだが立ちました。

生命とは何だろう。生きるって何だろう。そんな哲学的てつがくてきな問いの答えが見えてくるようで、世界がぱあっと広がるのを感じました。

人による時間感覚じかんかんかくの違ちがいいについて気になっていたときに読んだ本川達雄もとかわたつお先生の『ゾウの時間 ネズミの時間 サイズの生物学』(中央公論こうろん新社)も、同じように生物学を通して哲学的てつがくてきな問いと向き合うおもしろさを感じました。

また、『寺田寅彦とらひこ随筆集ずいひつしゅう』(岩波書店)や藤原ふじわら正彦まさひこ先生の『若わかき数学者のアメリカ』(新潮社しんちょうしゃ)、『遥はるかなるケンブリッジー一数学者のイギリスー』(新潮社しんちょうしゃ)を読んで、科学と文学を行き来できる人がいることを知り、しびれました。

宮本常一つねいち先生の『忘わすれられた日本人』(岩波書店)も好すきでした。

そんな作家の先生方への憧あこがれから、「私わたしも気になることを自分で探求たんきゅうして、考えたことや体験たいけんしたことをわかりやすくおもしろく人に伝つたえられる人間になりたい!」と、大きな夢ゆめを持ちました。

それを形にする表現方法ひょうげんほうほうとして何が自分に合っているのだろうかと考えたとき、やはり思い浮うかぶのは子どものころから親しんでいた絵本や童話でした。


──大学卒業後そつぎょうごはどのような道に進んだのですか?

大学卒業後そつぎょうご、満身創痍まんしんそういの状態じょうたいで地元に戻もどって、アルバイトを始めました。大学院を受験じゅけんする道もあったかもしれませんが、そのときは大学院に行くお金もありませんでしたし、とても後ろ向きな気持ちの状態じょうたいで、「一度つまずいた人間が今から大学院に入っても、研究者になんてなれるはずがない」と絶望ぜつぼうしていたんですよね。

アルバイトをしながら、「自分はこれからどんなことをして生きていこうかな」とゆっくり考えました。アルバイト先で、お客さんや同僚どうりょうの人から「ありがとう」と言われることで、私わたしは少しずつ人の役に立っているという実感がわいて、生きる希望きぼうが持てるようになりました。


──そこから作家へのチャレンジが始まりました。

「研究者にはなれなかったけど、本を書く人にはまだなれるかもしれない」と思って、大学時代に考えていたお話をまとめてみました。それは、つらかったときに私わたしを支えてくれた友人のことを思って作ったお話でした。

その原稿げんこうをアマチュア向けの童話コンクールに応募おうぼしてみたら、ありがたいことに佳作かさくをいただきました。

審査員しんさいんをされていた作家の先生方から、「読者の子どもたちを信しんじて、あなたはあなたの書きたいことを書き続つづけなさい」と背中せなかを押おしていただき、勇気ゆうきをもらいました。

【人生編②〜絵本作家への道をたぐりよせる〜】へ続く


最勝寺さいしょうじ朋子ともこさんプロフィール
1989年生まれ。神奈川県出身。デビュー作『しらすどん』(岩崎書店、2021年)は「第14回ようちえん絵本大賞理事長賞」を受賞したほか、「第71回小学館児童出版文化賞」にノミネート、神奈川県、岩手県、埼玉県の推薦図書に選出された。2作目の絵本『犬ずもう』(めくるむ、2023年)は「第1回マルジナリア書店絵本大賞」、「第8回ブックハウスカフェ大賞銅賞」を受賞。

カテゴリー: インタビュータグ: いわし, しらすどん, シラス, シラス漁, ベストセラー, メキシコ, ラパス, 中学生, 乾燥地, 仔魚, 児童書, 受験, 将来, 小学生, 岩崎書店, 最勝寺朋子, 海, 漁師, 留学, 神奈川県, 絵本, 絵本作家, 進学, 進路, 進路相談, 高校生, 魚, 魚類, 鳥取大学, 鳥取大学乾燥地研究センター, 鳥取県, 鳥取砂丘

About yoshioka

Previous Post:絵本作家 最勝寺さいしょうじ朋子ともこさんにインタビュー①
絵本『しらすどん』への思い
Next Post:2月28日には「熱川あたがわばにお」さんも来館。企画展きかくてん「ワニ」は3月1日まで

Sidebar

教職員向け
               
SeDoc +
会員制コンテンツ
アーカイブ
掲載用少年写真ニュース
運営会社
少年写真新聞社ロゴ

株式会社 少年写真新聞社
〒102-8232 東京都千代田区九段南3-9-14
HF九段南ビル2F・3F

メニュー
  • お問い合わせ
  • 運営会社WEBサイト
  • プライバシーポリシー
SNS
  • X
  • Instagram

Copyright © 2026 少年写真ニュースデジタル All Rights Reserved.