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あなたが描えがく未来みらいは何色ですか?
志津しず栄子えいこさんインタビュー(2)

2025年8月8日 by yoshioka

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──『ぼくの色、見つけた!』は、どのようなきっかけやアイデアから生まれたのでしょうか?


「色覚しきかく障しょうがい」は、男性だんせいで20人にひとり、女性じょせいで500人にひとりいるといわれています。程度ていどの差さこそあれ、教室の中に1~2人はいることになります。

学校での検査けんさがなくなってからは、本人もそれと気づかないまま、大人になってしまう人もいるようです。生まれもっての特性とくせいなので、本人も周囲しゅういの人も気づかないことが多いのでしょう。それゆえ、あまり理解りかいされていないとも思うのです。


『ぼくの色、見つけた!』(志津栄子:作、末山りん:絵/講談社)

 私わたしが担任たんにんをした子どもの中にも、色覚しきかく障しょうがいの子どもが何人かいましたが、本人よりも、保護者ほごしゃのほうが心配されている印象いんしょうでした。そのときは私わたしもいっしょになっていろいろと調べたり、聞いたりしました。そうしているうちに、色覚障しきかくしょうがいのことがよくわからないから、不安ふあんになるのだと気づいたのです。知ることは大切です。正しく理解りかいしたいと強く思いました。

 誰だれにでも、弱いところや苦手なことがあります。大きくなればなるほど、それを隠かくし、人に見せないようにして生きていくのだろうと思います。それならば、せめて小学校の教室という場所では、弱い自分を出せたらいいのに。それができたら、子どもたちはもう少し生きやすくなるのではないかと考えました。

 ありのままの自分を見せるのは、難むずかしいことかもしれません。でも、一歩踏ふみだせたら、教室は居心地いごこちのいい場所になるにちがいない。本人にとっても、受け止める子にとってもです。そんな願ねがいをもって、この物語を書き始めました。


『ぼくの色、見つけた!』(志津栄子:作、末山りん:絵/講談社)より

──物語の始まり方がとても印象いんしょう深かったです。


書き始めたときは、『みどりのララ』というタイトルでした。「ララは生きていくのに必要ひつような芯しんみたいなものかしらね。これがあるから私わたしは大丈夫だいじょうぶって思えるのよ」と、主人公の信太朗しんたろうの祖母そぼが言っています。最初さいしょからそれを書きたいと思っていたのですが、「ララ」が何なのか、物語にどう絡からめていけばいいのか、悩なやみに悩なやみました。ただ、文字で書いただけでは伝つたわらないことはわかっていました。

それで、信太朗しんたろうの母が描えがいた絵本という形で冒頭ぼうとうに書くことにしたのです。ダンスの好すきな女の子や、高い山に挑戦ちょうせんする登山家、新しい帽子ぼうしをかぶったおばあさん、拍手はくしゅをあびる手品師てじなし、情熱的じょうねつてきなトランペット吹ふきの青年、ふきげんな小説家しょうせつか、レイラを抱だきしめるママ……。絵本の中には、自分らしく生きたいと願ねがう人たちがいます。

「ララはそのときどきで変かわっていくのかもしれないし、いくらさがしても見つけられないこともあると思うわ。だから本物のララを見つけられたらきっと幸せね」と、祖母そぼは言います。物語の中で、信太朗しんたろうが絵のタイトルを『みどりのララ』にしたのは、雨上がりのみどり(信太朗しんたろうが感じた世界)の中に、自分にしか描えがけない色を見つけたからです。ここが、物語のテーマになっています。


──主人公が自らの障しょうがいに対してとてもポジティブなところもすごいなと思いました。先生の「障しょうがい」に関かんする考えを教えていただいてもよろしいでしょうか?


私わたしは、難聴なんちょうの子どもを二人担任たんにんしました。配慮はいりょをしていたつもりだったけれど、それでよかったのかはわかりません。

人は耳だけで音を聴きいているわけではなく、目で見たり、肌はだで感じたりしたことから情報じょうほうを得えて、理解りかいしています。それで日常にちじょう生活は困こまらないようですが、周まわりの人と比較ひかくして、もし「劣おとっている」と感じてしまったら、どうやってフォローすればいいのでしょう。親や先生、クラスメイト、それぞれの立場からできることはあるはずだと、今も考えています。

生まれつき、そういう状態じょうたいだったというのと、途中とちゅうから障しょうがい者になったというのは違ちがうと思いますが、実は数年前に持病が悪化し、私わたしも補聴器ほちょうきユーザーとなりました。今まで聴きこえていたのに……、という喪失感そうしつかん。当たり前だったことが当たり前でなくなることにとまどいましたが、受け入れるしかありません。

補聴器ほちょうきが必要ひつようになって初はじめて、私わたしはあの子たちのことを何もわかっていなかったんじゃないかと思いました。当事者でなければ、本当に理解りかいすることはできないのかもしれません。でも、想像そうぞうすることはできるし、学習することもできるはずです。

そのあと、在宅ざいたくで酸素吸入さんそきゅうにゅうをすることになって、自分が障しょうがい者に認定にんていされると、「こんな格好かっこうで外出するのはいやだなあ」と思いました。

想像そうぞうしてみてください。眼鏡めがねと補聴器ほちょうき、酸素さんそのカニューラ、マスク。これだけ耳に掛かけて外に出る姿すがたを。ひきこもりたくなり、死にたい気分にもなりました。

でも、家から出てみると、町の風景ふうけいもまた違ちがう角度から見ることになりました。私わたしの町の郵便局ゆうびんきょくは、駐車場ちゅうしゃじょうが離はなれたところにあります。仕方なく歩いていると、雨に降ふられてしまいました。右手でボンベを載のせたカートを引き、左手で荷物を持つと、傘かさを差さすことが難むずかしくなります。ほんの数十mの距離きょりを以前いぜんは走っていけたのですが、そのときはぬれて歩くしかありませんでした。すると、私わたしの後ろから、知らない人が傘かさを差さしかけてくれたのです。素直すなおに感謝かんしゃしました。

答えになっているかどうかはわかりませんが、「障しょうがい」は、隠かくしても隠かくし切れないものだと思います。人に見せることも、助けられることも、決して恥はずかしいことではないと知りました。実は、次の作品では、弱者が乗り越こえるというより、周まわりの人たちが気づく。そんなことが書けたらいいなと思っています。


──信太朗しんたろうと友行がだんだん心を通わせていくところも、先ほどの先生のエピソードをちょっとほうふつとさせるなと思いました。


終わりのほうに、学校を休んでいる信太朗しんたろうのところに友行が訪たずねてくるシーンがあります。「おつかいの途中とちゅうでさ、通りかかったから」などと言っているのですが、本当は心配して様子を見にきたのでした。「あー、ズル休みだよ」と答えると、「やるなあ、信太朗しんたろうのくせに」と返します。こんなやりとりができる二人になったんだよ、というところを書きたかったわけです。子どもって、少しずつだけれど、確実かくじつに進歩しているもので、それは相手との関係性かんけいせいから生まれてくるのです。

信太朗しんたろうが「シャンと胸むねを張はった」のも、ララを見つけた自分自身に対してはもちろんですが、周まわりの人たちに対しても胸むねを張はることができたのではないのかな。そんなことを思いながら、書きました。「ぼくの虹にじは5色でいい」というのは、人と比較ひかくして落ち込こむ必要ひつようがなくなったということなのです。


──この物語には、先生の経験けいけんがたくさん詰つめ込こまれているように思います。


登場人物には、モデルになった人がいます。教師きょうしをしていたころに出会った子どもだったり、幼おさないころの自分自身だったり。

やんちゃな子、負けず嫌ぎらいな子、算数が苦手な子、習字の原先生も、担任たんにんの平林先生も……、私わたしが出会った人たちなのです。あの人なら、こんなふうにするんだろう、こんなふうに言うんだろうなと、想像そうぞうしながら書きました。

たとえば、浩美ひろみ。友行の手の甲こうに鉛筆えんぴつの筋すじをつけてしまいますが、謝あやまりたくないと言います。彼女かのじょは「今さら、一輪車いちりんしゃに乗れないカッコ悪い自分を人に見せられない」のです。

たとえば、郁人ふみと。「ああ、また悪い癖くせが出ちゃったよ」と授業中じゅぎょうちゅうにトイレに行って、長い時間かかって手を洗あらっています。「いい子」でいるために、無意識むいしきのうちにストレスをためているのかもしれません。

たとえば、さつき。苦手な算数の時間、「九九の表、役に立つわあ」と言いながら、割わり算に取り組んでいます。

学校を休んで絵を描えがいている信太朗しんたろうに向かって、「そういうのって、一生のうちに何度もあることじゃないからな。つかまえろよ」と言う父さんも、順じゅんを追って読んでみてほしいです。工場の仕事を卒業そつぎょうしたい、という葛藤かっとうを抱かかえています。

そして、愛あいすべきは友行。こういう子、隣となりにいませんか?

信太朗しんたろうだけは完全かんぜんにオリジナルのキャラクターで、どう動くかまったくわかりませんでした。書きながら、信太朗しんたろうといっしょに考えて、作者である私わたしも成長せいちょうしていったように思います。

以前いぜん『画鋲がびょう』という作品を書いたのですが、主人公の希のぞみが友達ともだちの靴くつの中に毎日ひとつずつ画鋲がびょうを入れてしまう話です。いけないことだとわかっているのに、やめられなくなってしまう。これは実際じっさいにあったことで、そのときは、話し合って、謝あやまって、仲直なかなおりをして……。そんなことをして解決かいけつしたような気になったのだけれど、希のぞみは心の底そこでどう思っていたのか、どうしたら本当の意味で救すくわれたのか、考えれば考えるほどわからなくなります。物語にも、日常にちじょうの中で起こったことにも、きっと続つづきがあるのでしょうね。読んだ人にいっしょに考えてほしいな、という思いがあります。

私わたしの本を読んでくれた人は、自分と似にているなと感じる人を見つけるのかもしれません。その誰だれかに心を重ねてくれたら、うれしいなと思います。

「この話、私わたしのことかも」と思ったり、「そうそう、私わたしが言いたかったのはこういうことだ」とうなずきながら読んでくれる人がいたら、最高さいこうです。


──特とくにここが読みどころというところはありますか?


信太朗しんたろうがゴッホの絵と出会う場面や、友行に色覚しきかく障しょうがいのことを打ち明けるところ、雨上がりの公園で自分だけの色に目覚めざめるところなどは、苦心して書きました。

やはり、今まで弱点だと思っていた「色」に救すくわれる信太朗しんたろうに共感きょうかんしてもらえると、うれしいです。


──先生のこれからの目標もくひょうや挑戦ちょうせんしたいことなどはありますか?


24時間、酸素吸入さんそきゅうにゅうをしなければならない生活は不便ふべんです。ご飯はんのときも、お風呂ふろのときも、寝ねるときもカニューラは外せません。本当のことを言うと、不便ふべんなんてものではなくて、ほとんど恐怖きょうふです。今まで酸素さんそを意識いしきして生活してきたことなんてなかったけれど、もし、これがなかったら、呼吸こきゅうが満足まんぞくにできなくて、苦しくて……。

そういう自分を受け入れ、ものを書いて生きていくという覚悟かくごができるまでに、時間がかかりました。書きたいことは、まだまだたくさんある。だから、もう少し生きていようと、いつも自分を励はげましています。

今考えているお話は、いくつもあります。

低学年ていがくねんでは、「いい子でいなくっちゃ」と何かにとらわれている子が、一歩を踏ふみだせるようなお話です。

ウシなのに、せっかちなナナコちゃん。ニワトリなのに、朝寝坊あさねぼうなココミちゃん。キツネなのに、うそが苦手なショウマくん。アリなのに、まっすぐ歩けないヒナコちゃん。ヘビなのに、優やさしいカンタくん。あなたのままでいいんだよ、と言ってあげたいです。

中学年では、在宅酸素療法ざいたくさんそりょうほうのことを知ってもらえるようなお話を書きたいです。主人公の父親が、酸素さんそボンベを運ぶ仕事をしているという設定せっていです。

高学年では、発達障はったつしょうがいなどの困こまりごとを抱かかえた子どものことを書いています。弱者が乗り越こえるのではなくて、強者が気づくようなお話を書きたいと思って、いくつか構想こうそうを立てているところです。物語の中の子どもたちが、私わたしの手を離はなれて広い世界に出ていく。今日も、私わたしの知らないどこかの街まちで、私わたしの知らない誰だれかと出会っているのだと思うと、わくわくします。


──最後さいごに、読者である子どもたちに向けてメッセージをお願ねがいします。

ありのままの自分を好すきになれたら、すてきです。言葉で言うのはたやすいけれど、「自分が好すき」だなんてとても言えないですよね。私わたしも言ったことはありませんから。

 でもね、あなたはあなたのままでいいんですよ。誰だれにだって、弱いところや苦手なことがあります。それを人になんとかしてもらうことはできないのですが、わかってくれる人がそばにいたら、いっしょに困こまってくれる人がいたら、世界は変かわるんだと思います。そんな中で、あなたが誰だれかに寄より添そうこともあるでしょう。

 「犬も歩けば棒ぼうに当たる」という言葉があります。ほんの少しリアクションを起こせば、良よくも悪くも自分に返ってくるという意味だと思うのですが、何もしなかったら、そのまま時はどんどん流れていってしまいます。一歩踏ふみだせば、世界は楽しい。病気になって、生きがいだった仕事をなくした私わたしが起き上がれたのは、物語を書き始めたからです。そうです、転んだら起きればいいのです。

 立派りっぱな目標もくひょうなんてなくてもいいの。前へ前へ、明るいほうへ。

 あなたが行きたいと思う未来みらいを、思い描えがいてみませんか。

志津しず栄子えいこ先生プロフィール

岐阜県ぎふけん在住ざいじゅう。
2022年、『雪の日にライオンを見に行く』にて、第24回ちゅうでん児童じどう文学賞しょう大賞たいしょう受賞じゅしょう。
自身2作目となる『ぼくの色、見つけた!』が、第71回「青少年読書感想文全国コンクール」の課題かだい図書に選出。せんしゅつ

(取材:「デジタル少年写真ニュース」編集部 吉岡)

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カテゴリー: インタービュータグ: ぼくの色、見つけた, インクルーシブ, ユニバーサル, 児童文学, 児童書, 夏休み, 志津栄子, 色覚障がい, 読書感想文, 講談社, 障がい者, 障害

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