
──どんな子ども時代でしたか?
実家はドライブインでした。村のはずれにあるんですけれど、そばにある海で遊んでいた天真らんまんな子どもで、村のはずれだから友だちがいないんです。だから、なんでもなめていました。岩の味、机の味、テトラポットのセメントの味、みんな知っている。さみしかったのかな。でも、いろんなものに味があるのを知っています。味覚はさみしさから発達していったのだ、と思っています。海が友だちだったから、泳ぎに行ったり、魚をつかまえて焼いて食べたり。だから、今でも魚料理がお気に入りです。学校では成績がよくなくて、入る高校がないくらいでした。ですが、社会人になったときに、将来ちょっと天才と呼ばれてみたいなと思ったんですよね。かっこよくてウルトラマンみたいな人。勝負で負けなくて、強い。弱いものを助ける圧倒的な強さとやさしさをもった人になりたくて。
──なぜ料理の道へ?
料理は夢中になれるし、たくさんの人を幸せにできるし。料理人は何にでもなれるんです。人間なら必ず食べますよね。地球上の生きとし生けるものをすべてつなぐことができるのは、料理人だけなんです。しかも、料理をすればどんな人にも会うことができる。世界中を飛び回れる。真剣にやれば、つくった料理を世界中の人がみんな喜んでくれるから。マンガにもなるし、ローマ法王にも、ダライ・ラマ様にも、天皇陛下にも会うことだってできるし、賞だっていただけるから、最高だよね。

──イタリア料理を選んだ理由は?
父が和食だったので、父とずっと同じなのは嫌だったのが理由かな。ですが、2013年にイタリア代表と日本代表のサッカーの試合を見ていたら、3−4で日本が負けたんです。シーソーゲームだったのですが、その時、大好きなイタリアじゃなく、日本を応援してしまったんですね。そうしたら、自分はイタリア料理をやっている奥田じゃなくて、日本人でイタリア料理をやっている奥田じゃないかって気づいてしまったんです。だから、イタリア料理だけじゃなくて、和食も始めました。すし屋を始めたんですよ。
──すごいですね!
誰かにおいしい料理を食べてもらいたいだけなんです。料理という武器を持てば、楽しい人生になる。今、子どものみなさんも、今、成績がよくなくても、将来、料理人を目指してみたらいいと思うんですよね。何でもできるし、何にでもなれると自分で自分を信じることが大切です。ぼくは料理をすることが楽しいし、周りの人もおいしいって喜んでくれる。自分が好きなことをして、周りの人が喜んでくれる仕事って最高じゃないですか。料理人は、人に尽くす、人を笑顔にするための仕事、人に生かされている仕事だと思っています。

──これからの目標はありますか?
地球上のたくさんの人が、地球上に生まれた命を食べている。ぼくは、地球に感謝することを忘れずに、つねに料理をつくっています。最終目標は、「人間国宝」になる人間になること。目標が明らかであれば、人生はひらけると思っています。それぞれの職業には、それぞれに使命があるんです。警察には警察の使命、お医者さんにはお医者さんの、先生には先生の使命がある。つねに見えないところで料理人の使命を守るために努力をしているうちに、スーパースターになれます。いずれは、語り継がれる「伝説の料理人」になりたいです。
(取材・撮影/2024年7月22日「少年写真ニュース」編集部吉岡)
奥田政行シェフ プロフィール
1969年生まれ。山形県鶴岡市出身。高校卒業後に上京し、イタリア料理をはじめ、さまざまな料理を修行。2000年、故郷に帰り、イタリア料理店「アル・ケッチァーノ」を開業。2009年には東京・銀座にも店をオープン。
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