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夢ゆめは伝説でんせつの料理人りょうりにん 奥田政行おくだまさゆきシェフインタビュー

2025年6月6日 by Sato

──どんな子ども時代でしたか?

実家はドライブインでした。村のはずれにあるんですけれど、そばにある海で遊んでいた天真らんまんな子どもで、村のはずれだから友だちがいないんです。だから、なんでもなめていました。岩の味、机つくえの味、テトラポットのセメントの味、みんな知っている。さみしかったのかな。でも、いろんなものに味があるのを知っています。味覚みかくはさみしさから発達はったつしていったのだ、と思っています。海が友だちだったから、泳ぎに行ったり、魚をつかまえて焼やいて食べたり。だから、今でも魚料理さかなりょうりがお気に入りです。学校では成績せいせきがよくなくて、入る高校がないくらいでした。ですが、社会人になったときに、将来しょうらいちょっと天才と呼よばれてみたいなと思ったんですよね。かっこよくてウルトラマンみたいな人。勝負で負けなくて、強い。弱いものを助ける圧倒的あっとうてきな強さとやさしさをもった人になりたくて。

──なぜ料理りょうりの道へ?

料理りょうりは夢中むちゅうになれるし、たくさんの人を幸せにできるし。料理人りょうりにんは何にでもなれるんです。人間なら必かならず食べますよね。地球上の生きとし生けるものをすべてつなぐことができるのは、料理人りょうりにんだけなんです。しかも、料理りょうりをすればどんな人にも会うことができる。世界中を飛とび回れる。真剣しんけんにやれば、つくった料理りょうりを世界中の人がみんな喜よろこんでくれるから。マンガにもなるし、ローマ法王にも、ダライ・ラマ様にも、天皇陛下てんのうへいかにも会うことだってできるし、賞しょうだっていただけるから、最高さいこうだよね。


──イタリア料理りょうりを選えらんだ理由は?

父が和食だったので、父とずっと同じなのは嫌いやだったのが理由かな。ですが、2013年にイタリア代表と日本代表のサッカーの試合しあいを見ていたら、3−4で日本が負けたんです。シーソーゲームだったのですが、その時、大好だいすきなイタリアじゃなく、日本を応援おうえんしてしまったんですね。そうしたら、自分はイタリア料理りょうりをやっている奥田おくだじゃなくて、日本人でイタリア料理りょうりをやっている奥田おくだじゃないかって気づいてしまったんです。だから、イタリア料理りょうりだけじゃなくて、和食も始めました。すし屋やを始めたんですよ。

──すごいですね!

誰だれかにおいしい料理りょうりを食べてもらいたいだけなんです。料理りょうりという武器ぶきを持てば、楽しい人生になる。今、子どものみなさんも、今、成績せいせきがよくなくても、将来しょうらい、料理人りょうりにんを目指してみたらいいと思うんですよね。何でもできるし、何にでもなれると自分で自分を信しんじることが大切です。ぼくは料理りょうりをすることが楽しいし、周まわりの人もおいしいって喜よろこんでくれる。自分が好すきなことをして、周まわりの人が喜よろこんでくれる仕事って最高さいこうじゃないですか。料理人りょうりにんは、人に尽つくす、人を笑顔えがおにするための仕事、人に生かされている仕事だと思っています。


──これからの目標もくひょうはありますか?

地球上のたくさんの人が、地球上に生まれた命を食べている。ぼくは、地球に感謝かんしゃすることを忘わすれずに、つねに料理りょうりをつくっています。最終さいしゅう目標もくひょうは、「人間国宝こくほう」になる人間になること。目標もくひょうが明らかであれば、人生はひらけると思っています。それぞれの職業しょくぎょうには、それぞれに使命があるんです。警察けいさつには警察けいさつの使命、お医者いしゃさんにはお医者いしゃさんの、先生には先生の使命がある。つねに見えないところで料理人りょうりにんの使命を守るために努力どりょくをしているうちに、スーパースターになれます。いずれは、語り継つがれる「伝説でんせつの料理人りょうりにん」になりたいです。

(取材・撮影/2024年7月22日「少年写真ニュース」編集部吉岡)



奥田政行おくだまさゆきシェフ プロフィール

1969年生まれ。山形県鶴岡市つるおかし出身。高校卒業後そつぎょうごに上京し、イタリア料理りょうりをはじめ、さまざまな料理りょうりを修行しゅぎょう。2000年、故郷こきょうに帰り、イタリア料理店りょうりてん「アル・ケッチァーノ」を開業。2009年には東京・銀座ぎんざにも店をオープン。

「少年写真ニュース」2025年3月8日号を「アーカイブ」からダウンロードできます

2025年3月8日号
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カテゴリー: インタービュー

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