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ぼくがMinecraftカップに参加さんかした理由〜人生の半分をマイクラに捧ささげる得丸とくまる創生そうさんにインタビュー

2025年7月7日 by yoshioka

今年で開催かいさい7回目を迎むかえる「Minecraftカップ」。日本のみならず、海外も含ふくめ、18,000人を超こえる応募者おうぼしゃからエントリーがある作品コンテストです。「教育版きょういくばんマインクラフト」で作った作品で、構想力こうそうりょくや表現力ひょうげんりょくを競きそい合います。参加対象さんかたいしょうは、小学生から高校生まで。


2025年度の作品テーマは、「未み曾ぞ有うの災害さいがいから人類じんるいの命をまもれ〜レジリエンスを備えたまちづくり〜」で、「まちづくり部門」と「たてもの部門」の2部門で作品を募ぼしゅう集し、9月4日(木)18時59分まで受うけ付つけます。


Minecraftカップ2021年全国大会(第3回)で「インプレス子どもとIT賞しょう」を受賞じゅしょうした「チーム逸般人いっぱんじん」の得丸とくまる創生そうさんに、Minecraftにはまったきっかけや、参加さんかした理由、たいへんだったところや、やりがいなどについてお伺うかがいしました。



──まずはMinecraftとの出会いについて教えてください。

小学校2年生くらいまで遡さかのぼるのですが、友だちが「これおもしろいね」ってiPadにMinecraft(以降いこうマイクラ)を入れて見せてきたんですよね。2014年だか2015年くらいで、ちょうどマイクラが流行し始めたころだったんです。それで、すごくおもしろくてはまったんですよね。レゴ®︎って、あるじゃないですか? マイクラは、無限むげんにレゴ®︎のブロックがあるようなイメージで、楽しくて。そこから、今まで10年ずっとやっているわけです。すごく単純たんじゅんな動機どうきなのですが、レゴ®︎だとブロックがなくなってしまったら作れないんですけれど、マイクラだったらそれが無限むげんに作れるんですよ。当時としては、「なんだ、これ? すごいぞ!」っていう。小学3年生のときは、それこそずっとやっているような感じだったのですが、実は不登校ふとうこうになりまして。そもそも、あんまり学校が好すきじゃなかったというのもあって、3年くらい学校に行ってなかったんですが、マイクラはずっとやっていて。中学1年生くらいまで、マイクラを普通ふつうにゲームとして楽しんでいる感じだったんですけれども。だから、小学5年生くらいからはフリースクールにも行っていたのですが、そこにはマイクラが好すきな子がいっぱいいたんですね。そこでたくさんの人に出会って、みんなで遊ぶようになって(そのメンバーが後でまた出てくるのですが)、とりあえず、「マイクラ楽しい!」とかいって遊んで、ときには誰だれかが作った建物たてものを壊こわしてけんかして──みたいなことを、ずっとやっていましたね。


──「Minecraftカップ」に応募おうぼしたときには中学生だったと思いますが、中学時代はどんな感じだったのですか?

公立の中学校に行ったのですが、そこが変かわった学校でして。校長先生もちょっと変かわっていて、廊下ろうかにみんなで自由に過すごせるスペースがあったり、あのころではまだめずらしい3Dプリンターも置いてあったりしたんですよ。そこで「マイクラもやりたい」とやっていたら、「マイクラやってるんだ」って感じで、ある1人と出会いまして、その人もあとで出てくるんですが。ある日突然とつぜん、親が「海外に行ってみない?」って言ってきました。親も親で、よくそういうこと言い出すなって思いましたが、当時の中学校の校長先生に相談をしたら「じゃあ行ってくればいいじゃない」って言ってくれて、学籍がくせきもちょっと置おいておいてくれることになりました。「無理むりだったら戻もどってくればいいんだよ」って、海外に留学りゅうがくのような形で行くことになったんです。場所はマレーシア。日本の学校は勉強に使う時間が多いんですけれども、マレーシアにある学校って、日本ほど学校の勉強に力を入れていないところが多いんですよ。逆ぎゃくに、むしろ自由な時間ができたというか。ただ、それが2020年だったんです。新型コロナが来て、学校に行けなくなり、家での時間が余あまってしまうので、そこでまたマイクラを始めたんですよ。で、日本のフリースクールや中学校で出会った仲間なかまと「なんかMinecraftカップってあるんだけれど」って、みんなでワールドを作って応募おうぼしてみようかという話になって。


──得丸とくまるさんは海外で、ほかのメンバーは日本で参加さんかということですか?

互たがいの連絡先れんらくさきは知っていたので、連絡れんらくをして、「じゃあオンラインでやらない?」って、始めたんですよ。時差じさも1時間くらいですし、全部オンラインでやろうって。


──応募おうぼする作品は、どのように作っていったのですか?

とにかく「未来みらいの町」ということがMinecraftカップ側がわから与あたえられたテーマだったので、「どんなんだろう?」と考えましたけれど、実は当時、何も思いつかなくって。とにかく「未来みらい」ってところから自分たちが思いつくもの、作りたいものをどんどん作っていこうという発想になったんですよね。なすがまま、任まかせてみようという感じというか。なんとなく未来みらいのまちってこんなふうじゃないかなっていう、アイデアだけで作っていたんです。


──作る前にあれこれ考えてから実行するという感じではなかったんですね。

マイクラって、「作っては壊こわして」という作業が、本当に気軽にできるんですよ。たとえば工作とかだったら、しっかり考えてミスを起こさないように作るっていうことが多いですけれども、マイクラってミスを起こしても、別べつに壊こわして置おき直せばいいので、どれだけ失敗しっぱいしてもいいし、当時はコロナ禍かだったので、時間もたっぷりあるんだから、とにかく手を動かせと。「どうせ失敗しっぱいしても、また作り直せるからいいよね」っていうふうに作っていきました。思いついたことをどんどんやって、いろいろ固かたまってきて、やっと「私わたしたちが考えた理想の街まち〜15年後〜」というタイトルがついたんですよ。




──なぜ「15年後」に?

SDGsの目標もくひょうを達成たっせいする2030年と年が近いのと、そのころ、Minecraftカップは4年くらい連続れんぞくでSDGsが入っていたので。とりあえず作ってみて、似にたようなことを考えている人がいないだろうかってインターネットとかで調べてみると、なるほど、自分たちがやっていたことは、実際じっさいに世の中でこういう取り組みがあるんだっていうことに気づいて、それをあとから混まぜて。そうすることでわからなかったSDGsがちょっとわかってきたというか。未来みらいも、自分たちが求もとめている未来みらいであれば良よいわけで。タイトルが「私わたしたちが考えた」と言っているくらいですから、自分たちの理想なら、それでいいって。


──オンラインでのやりとりがメインとのことでしたが、お話を聞いていると、すごくスムーズに進んでいったような印象いんしょうを受けます。作業をしていく中で、けんかをするようなことはなかったのですか?

建物たてものなどを作るときには、ある程度ていどは認識にんしきを合わせるために、「こんな建物たてものってあるよね」と、事前にみんなで写真などの情報じょうほうを共有きょうゆうしておきました。二人で同じ建物たてものを作ると、細かいところが違ちがって衝突しょうとつするので、一人建築物けんちくぶつ一つみたいに決めて作りました。だけど、全部オンラインでやっていたので、意見の食い違ちがいはめちゃめちゃ起きました。マレーシアと日本で電話をしながらコミュニケーションをとって作業をするという感じなんですけれど、毎日くらいのレベルでぶつかっていましたね。毎日のようにぶつかって、「もう二度といっしょにやらない!」みたいな感じになるんですけれども、中学生なので、次の日になるとケロッとして、何事もなかったように戻もどってくるみたいな。自分のイメージと誰だれかのイメージが合わないと、「自分が思い描えがいていた景観けいかんを乱みだすな!」とか、「自分が作ろうと思っていた場所に何か知らない建築物けんちくぶつが建たっている! 俺おれの土地を返せ!」とか、現実げんじつのまちづくりみたいなことが起きていましたね。「俺おれが作ろうと思っていた山なのに、なんで先に作っちゃったんだよ」みたいな、土地争あらそいが起きることもありました。


──作品で特とくにこだわったのは、どんな部分ですか?

チームメンバーに聞いたら、多分「全部こだわっているから、特別とくべつにこだわったところはない」って言いそうなんですけれど、個人的こじんてきには電車が動く装置そうちを作っていたり、現実げんじつにある建物たてものをオマージュして作っている建物たてものとかがあって、実際じっさいに街中まちなかにあるタワーはマレーシアにいたときに、自分が住んでいた場所にあったペトロナスツインタワーっていう石油会社のタワーがあるんですけれども、それを「石油じゃなくてエコの象徴しょうちょうにしようぜ」とか言って、建物たてものの素材そざいを全部木に置おき換かえてタワーを作っていて。結構けっこう現実げんじつにある建物たてものとか、誰だれかが考えた建築物けんちくぶつとかは、かなり参考にしつつ作りましたね。自分たちが見ても、妙みょうに現実感げんじつかんがありそうだなって。いや、でもすごく遠い未来みらいなのかな、どうなんだろうっていう建物たてものになっていって。15年はあっという間ですよね。みんな未来みらいを描えがいているから、未来みらいっぽいといえば未来みらいっぽいんですけれど、今の現実げんじつの街まちのごちゃっとした雰囲気ふんいきがあるみたいな感じに仕上がりました。ある種しゅリアル、みたいな。時間もたっぷりあったので、計画倒だおれするわけもなく、みんなが作りたいものを作れたんですよね。


──作品ができるまでに、どれくらいの時間がかかりましたか?

当時コロナ禍かだったこともあって、1日あたりの作業時間はすごく長かったんです。実は応募おうぼを決めたのがかなり遅おそくて、実質じっしつ3か月くらいで作っています。学校のグループだったら、きっと1日1時間とかだと思いますが、あの頃ころはみんなで1日8時間とかやっていました。そもそも出場経験けいけんがなかったので、計画性けいかくせいなどのスキルも自分でやりながらどんどん育てていく感じで、何もわからない状態じょうたいから、まずはとにかく手を動かす感じです。すでに出場経験けいけんがあるのなら、計画して作業をしたほうがいいと思います。


──作品ができあがったときには、手応てごたえはありましたか?

チーム全員、これは絶対ぜったい審査しんさに通るだろうって、自信じしんはあったと思いますよ。明らかに何が良よかったのかはわかりませんが、謎なぞの絶対的ぜったいてきな自信じしんがあって。自分たちの作品が、いちばん楽しそうに見えたんですよね。でもその一方で、ほかの人たちの作品をよく見てみると、「向こうのほうがいいじゃん」なんて思ったりして。いい意味で、いろいろな人の作品に刺激しげきされますよね。「このワールドに自分も入ってみたいなあ」とか。参加さんかしている人は、みんな互たがいにそう思っているんじゃないかと思います。どのワールドにもいいところがあるので、「自分たちの作品のほうが絶対ぜったい上だけど、あっちのこの部分がいいから今度まねしてみよう!」みたいな。作品を紹介しょうかいする動画やプレゼン資料しりょうも提出ていしゅつしないといけないのですが、そのセンスだったり、自信満々じしんまんまんにプレゼンをしていたりするのを見ると、「すごいなあ」って単純たんじゅんに思いました。ぼくたちは、動画やプレゼン資料しりょうも、オンラインで話しながら作りました。役割分担やくわりぶんたんをして、編集へんしゅうする人、撮影さつえいする人とか分けていました。ぼくは動画を編集へんしゅうする人だったのですが、最終審査さいしゅうしんさの直前にたまたま日本に帰ったときがあって、動画編集へんしゅうの仕事で、録音ろくおんをするためだけに、メンバーの家に押おしかけたんですよね。それが大会参加さんか期間中、メンバーに唯一直接ゆいいつちょくせつ会った機会きかいで、本当に一瞬いっしゅんだったな。


──そして「インプレス子どもとIT賞しょう」を受賞じゅしょうします。

それまでは自分の作品が誰だれかに認みとめられたことがなかったと思うので、すごくうれしかったです。そこから今に至いたるまで、Minecraftカップがすべてのきっかけになったといっても過言かごんではないですね。いろいろなところがつながって、今に至いたるので。初はじめて賞しょうをもらった大会なので、知り合いも増ふえましたし、同世代が多いですけれど、人とつながるという点でもきっかけになりました。大人たちともつながる機会きかいもできましたし。




──具体的ぐたいてきにはどのような広がりが生まれましたか?

Minecraftカップに参加さんかして変かわったことというのは、すごく大きくて。それまではゲーム大好だいすき少年みたいな感じだったのですが、誰だれかに作ったものを認みとめてもらえることが、すごくうれしかったです。そこからいろいろな人の紹介しょうかいを経へて、マレーシアでオンラインでマイクラのプログラミングを教える先生になったのですが、子どもの生徒せいとが3人くらいいて、3人同時に聞いてくるんですよ。自分で同時に3人の相手ができなくて、ちょうどそのときにAIが出てきたので、「AIにやってもらってみたらどうなるかな」って急に思いついて、教育用のソフトウェアを作ってみようと思ったんですね。そもそも技術ぎじゅつがなかったのですが、自分でもいろいろ作りたいなと勉強して、「未踏みとうジュニア」というクリエーター支援しえんプログラムに応募おうぼしました。そうしたら通って、今ではアプリを一人で作れるようになりました。日本に戻もどってからは、リアルなところにボランティアで行ったり、それとは別べつでお金をもらう仕事もしていたりと、いろいろやっています。


──自分にない技術ぎじゅつは誰だれかに教わったりしたのですか?

必要性ひつようせいがないのに学習するということに、自分はあまり身が入らない人間なので、プログラミングのスキルなども最初さいしょは全然ぜんぜんやる気がなかったんですけれども、それが必要ひつようになった途端とたんに、「やばい!」ってなって、自分で猛勉強もうべんきょうしました。学び始めて、「これ、思ったよりも楽しいかも」って。普通ふつうに独学どくがくで全部やっているんで、お金はかかってないです。ゼロ円です。Minecraftカップで提出ていしゅつするときも、全部無料むりょうで使えるソフトを探さがして使っていました。


──改あらためて、Minecraftの魅力みりょくについて教えてください。

やるたびにいろいろと新しいものを見つけられるので、楽しいです。ただのゲームかもしれないですけれど、作ったものをもしかしたら誰だれかに見せるとか、動画を作るとか、発表するとかもあるし、あとはマイクラの中にゲームを作って、ほかの人に遊んでもらうとかもできます。本当にいろいろな遊び方ができて、なんなら友だちをつくる方法ほうほうとしてマイクラを使ってもいいと思うんですよね。マイクラはいろいろな人が集まって、いっしょに何かできます。ほかにもそういうゲームはありますが、マイクラはできることが本当に自由。マイクラの仮想かそう空間上に、ただ友だちと集まったりすることもできますし。


──チームのメンバーとは、今も仲なかがいいのですか?

今もメンバーは仲なかがいいです。昨日きのうも電話していました。自分自身は、今では、マイクラを作る側がわというより、教えたりもするようになりましたし、マイクラから離はなれて違ちがうことをやっているメンバーもいます。当時はマイクラだけでしたが、今はそれ以外いがいも始めようって。


──「マイクラ」の存在そんざい自体が、変かわってきたということでしょうか?

自分自身、小中高でやっていたマイクラと今やっているマイクラって違ちがいますね。できあがるものも、何か違ちがうんですよね。大人がつくるものって妙みょうにリアル過すぎるっていうか、現実感があるものが多いんですけれども、子どもがつくるものって、それからちょっと離はなれているというか。自分も今作っているのを見て思うのですけれども、あのころとちょっと変かわったなあって思ったりします。いろいろなものを知り過すぎてしまったからかもしれないですけれども、何も知らないで手探てさぐりだからできるものもあるんだと思います。そういうことを経験けいけんしてもらうという点では、Minecraftカップはすごくいいよなって思います。


──最近さいきんはどんな感じですか?

今年の9月から大学に入学するんですけれども、それが今の直近のやることです。Minecraftカップのお手伝てつだいもしていて、実際じっさいに学校に出向いたりするなどもしています。趣味しゅみとして、相変あいかわらずマイクラもやっているし、アプリを作ることもやっています。アプリ開発の点では、世の中がAIで変かわり過すぎているので、毎月世の中のいちばん新しいものを追っていくのに疲つかれる、みたいな感じにはなっています。自分の下の世代もみんなそんな感じなので、ひと月前と今では違ちがうツールがあるって状態じょうたいになるので、今年のMinecraftカップとかでは、AIを使い倒たおした人が出てくるのではないか。ぼくたちのように、先生がいないような場合でも、よりやりやすくなったというか。自分たちのころは、調べるのに時間がかかったのでたいへんでしたけれど、今はどこからでもアクセスできるし、聞けば答えてくれるから、調べるための時間も減へっていると思います。自分もプログラムを書いているときに、半分くらいAIに書いてもらって、それを確認かくにんして「これでよし!」って。これってプログラマーなのかなとも思いますが、周まわりもそんな感じです。AIは問題もつきものですけれども、世の中どんどん変かわるから、それにもついていかないといけないと思います。


──将来しょうらいの夢ゆめや目標もくひょうを教えてください。

「将来しょうらいどうなりたいですか?」って大学入試にゅうしのときも聞かれて、すごく悩なやんだんですけれど、大学ってすごく人がいるじゃないですか? その人たちとのつながりをつくることは、まだオンラインではできないと思っていて、結局けっきょくそこが大学に行くいちばんの目的もくてきなのかなって思っています。今は全部ネットでできるので、それをうまく使って、あとはどんどん人とつながっていくということだけを自分は考えるようにして、やりたいことをやっていこうって。機き会かいを得えるっていうところです。どうなるかはわからないけれど、起業とかしているのかな。必要性ひつようせいがあれば、それを始めているでしょうし。環境かんきょうが大きいのかな、かなり。自分があんまり外に出なくなったときに、家族がいろいろなものを紹介しょうかいしてくれたというのもあるし、マイクラ好すきだったのも、そういうきっかけからですし。きっかけさえあれば、自分の好すきなことをできるから、今はいいのかな。24時間ずっと勉強しているのがいいというわけではないと思いますし。自分はマイクラで徹夜てつやしていたので、徹夜てつやする対象たいしょうが違ちがうだけ。それを認みとめてくれる人がいるのが大きかったですね。そう思うと、環境かんきょうはすごく恵めぐまれている気がします。英語えいごは使うので、英語えいごの勉強はちゃんとしていて。英語えいごを覚おぼえられたのはすごくよかったですね。この間もアメリカに行って、イベントに登壇とうだんする機会きかいも得えられました。アメリカには行きたいんですよね。大学院くらいで、アメリカに行こうかなって思っています。自分は運に恵めぐまれていると思います。新型コロナとかもありましたけれど、そこにMinecraftカップに十分に時間を使える環境かんきょうがあったりしたので。とはいえ、挫折ざせつもしますし、今でも一喜一憂いっきいちゆうしますよ。いつか、自分が作ったものをみんなに使ってもらえるといいなっていうのが、今の目標もくひょうです。


──最後さいごにMinecraftカップに参加さんかする、もしくは参加さんかしようと考えている子どもたちに向けてメッセージをお願ねがいします。

Minecraftカップは、マイクラだけじゃなくて、それ以外いがいのものも見つける良よい機会きかいになるので、プロジェクトを通していろいろなことをやることにはなりますが、挑戦ちょうせんしてみるのは本当にありだなって思います。マイクラ以外いがいのことに触ふれるにも、いいチャンスです。自分は大会が終わってから、いろいろな機会きかいを得えることができました。あとは、みんなで取り組むっていうところでは、自分はそれが初はじめてだったからということもありますが、何かをみんなで作るという体験たいけんはすごくよかったです。Minecraftカップの魅力みりょくって言い始めると長くなりますが、自分が変かわったポイントがそこなので、勧すすめたいというのもあります。自分の作った作品を発表するという機会きかいは、何か特定とくていの教科、国語とか算数でも大会はあるとは思うのですが、それと似にたような共通点きょうつうてんはあると思いますし、それこそ学校とかプログラミング教室でも、個人こじんでも出してもらってやるのがいいのかなって。チームだけでなく、個人こじんで出場できるのは「たてもの部門」で、小学生だけが参加さんかできるのですが、個人同士こじんどうしで集まったチームとかもあるようですし、ぼくたちのように、学校じゃない人たちのグループも増ふえてほしいなって思います。応募おうぼして作品を出すだけでもだいぶ自信じしんがつくと思うので、失敗しっぱいしても失うしなうものもそんなにないはずだと思いますし。まずは手を動かしてみることから始めてほしいです。好すきだったら出てほしいし、それが誰だれかに認みとめてもらえるかもしれないチャンスにもなるので、やってみるべきだと思います。


第7回 Minecraftカップ

学校教育の現場げんばで使われている「教育版きょういくばんマインクラフト(Minecraft Education)」で作られた作品を全国・海外から募集ぼしゅうして、内容ないようを競きそい合う大会です。

高校生以下いかの子どもたちを参加対象さんかたいしょうとして、「教育版きょういくばんマインクラフト」を使って与あたえられたテーマを元に作品を作り、部門ごとに応募おうぼします。

第7回Minecraftカップ(2025年度大会)では、「まちづくり部門」「たてもの部門」の2部門で作品を募集ぼしゅう。集まった作品は全国・海外を14に分けた地区ブロックごとに審査しんさを行い、最優秀賞さいゆうしゅうしょうをはじめ、その年の各賞かくしょうが決定します。

詳くわしくは公式サイトをご確認かくにんください
https://minecraftcup.com/

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カテゴリー: インタービュー, 未分類タグ: Minecraft, Minecraftカップ

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