デフサッカーは「音のないサッカー」とよばれ、選手たちは補聴器をはずして、音がきこえない状態でプレーをします。
選手はピッチ上では声を使わず、アイコンタクトや手話言語でコミュニケーションをとります。レフェリー5人全員がフラッグを使って競技をコントロールします。

11月15日〜26日に日本で初開催となる、「東京2025デフリンピック」。
デフリンピックはろう者、難聴者の国際的なスポーツ大会で、オリンピック、パラリンピックと同様4年に一度開催されます。
第1回が開催されてから、今年は100周年という記念すべき大会で、東京都を中心に、福島県、静岡県で21競技がくり広げられます。デフサッカーは男子、女子ともに福島県のJヴィレッジで11月14日〜25日に行われます。
デフサッカー男子日本代表は、2023年にデフサッカーのワールドカップといわれる「第4回ろう者サッカー世界選手権大会」で準優勝(銀メダルを獲得)、2024年の「第10回アジア太平洋ろう者競技大会(マレーシア)」では優勝と、確実に結果をのこしてきました。
そして、4月2日、デフリンピックに向けて、元Jリーガーが多く所属し、JFL2025年シーズンで1位(4月2日時点)のクリアソン新宿とエキシビションマッチ「JAPAN FOOTBALL LIVE 2025」を国立競技場(東京都)にて開催。国立競技場でのデフサッカー開催は史上初で、当日は3,808人が来場しました。

前半は、攻守ともになかなかかみ合わず、試合前にふった雨の影響か、選手たちが天然芝になれない様子が見受けられました。その後、前半21分に、連携不足によるミスからクリアソン新宿に先制ゴールをうばわれ、1点を追う展開に。

試合が進むにつれて、次第に手話などによるコミュニケーションもスムーズになり、守備を中心とした落ち着いたプレーで前半を終えます。

後半は前半とはまったくちがったチームになったのではないかと思わせるほど、攻撃が活性化。チーム全体でボールを回すシーンがふえましたが、シュートチャンスをつかむことができません。

後半19分、西大輔選手がボールをうばい、ロングシュートをうちましたが得点ならず。アディショナルタイムに、クリアソン新宿に追加点をとられて、0−2で試合は終了しました。

試合後、吉田匡良監督は「デフサッカーには歴史があります。きずきあげてきてくれた先輩方の思いをわたしたちの時代へ引きつぎ、その思いで真剣に一歩をふみだしています。国立競技場で試合ができたことは、わたしたちにとって世界一をとるための通過点になります。結果は敗戦でしたが、負けていい試合などありません。国を代表することの意味、責任、覚悟をもう一度わたしたちは胸にきざみ、デフリンピック優勝に向けて歩みつづけます」と話しました。
キャプテンの松元卓巳選手は、「デフサッカーという日の当たらない代表チームが、国立という夢の舞台でサッカーができるすばらしい機会をいただき、本当に感謝しています」と涙をうかべました。

なお当日は、音や声が聞こえない、聞こえにくいデフアスリートに応援の気持ちをとどけるために、手話の拍手をベースに開発された、目で見る応援「サインエール」が行われました。

サインは、両手を開いて前に出す動きの「行け!」をはじめ、「大丈夫 勝つ!」、「日本 メダルをつかみとれ!」の3種類。
試合後、松元選手は「聞こえない分、見えてわかるのはすごく大きなパワーになった」と笑顔で話しました。
【デフサッカーに関する情報】
一般社団法人日本ろう者サッカー協会公式サイト https://jdfa.jp
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(取材・撮影:2025年4月2日「デジタル少年写真ニュース」編集部吉岡)